こんにちは。
介護職員の峯です。
広島の災害ニュースを見て、3年前の新宮市の災害の事を思い出しました。現在でも、土砂災害の場所は手つかずの所もあるようです。
3年前の災害で、熊野川町にある従姉妹の家も屋根まで水に浸かってしまいました。
8月10日の台風でも従姉妹の家は水に浸かりました。というか、毎回、台風が来ると、ダムの水が放水されることもあり、従姉妹の家は水に浸かってしまいます。この恒例行事みたいな台風浸水に「何故、引っ越さないのか・・。」と、ついつい思ってしまいます。
従姉妹の家族は、もう、30年以上前から現在の場所で暮らしていますが、やはり、住み慣れた場所だからでしょうか・・・。
今回のテーマは私が日頃感じている…
『折り合いをつける(現在を受け入れる)』ということです。
「ありがと。ありがと。ありがと。」
「こんな事、してもらって情けない。」
「贅沢言ったらあかん。我がまま言ったらあかん。全部世話してくれてるんやから。」
ご入居者さまの言葉。
私達は、
この言葉の意味や重みを聞き流さず、
深く受け止めなければならないような気がします。
本当は、皆、我が身の事は、自分で…
出来るだけ自分でしたいのです。
でも、難しくなってしまった…
出来なくなってしまったのです。
「お年寄りは、老いた自分と向き合えないのだ。」
と、誰かが言っていました。
「昔は、リレー選手やったんや。何でこんなんなったんかな。」
「何が何やら、さっぱり分からん。」
クレール1F南ユニットで暮らされているKさんは、笑って言ったり…
時には、考え込むように難しい表情で話されます。
人は「老い」というものには無力です。
「老い」は、人によっては、緩やかに、あるいは、急激に訪れます。
抵抗したくても、もがいても、「老い」という自然に逆らう事は出来ないのです。
その、抵抗しながら、もがいている、お年寄りの方が、老いるということに折り合いをつける(受け入れる)事が出来るまで… また、最後まで折り合えなくても、必要としている時に側に寄り所があることが大切なのではないかと思います。
それは、ご家族は勿論の事。私達職員やユニットで一緒に暮らしているお年寄り方々の存在ではないでしょうか。
と、いう事で、次は引き続き『寄り添う』というテーマでお話をさせて頂きたいと思います。